
プロサッカーコーチになるには?私の履歴書 広州富力U-10コーチ 吉田裕志①
Dec 20, 2020サッカーコーチになるには? どういう経路があるんだろう?
プロサッカー選手としての経験がなくてもプロサッカーコーチになれる!
実際にそれを実現した方にフォーカスして対談していくシリーズ!
YouTubeインタビューを文字起こししました。
今回は広州富力U-10コーチ 吉田裕志さん 前半編です。
●今回の対談の企画について
A:じゃあ吉田さん、改めまして、おはようございます。
B:おはようございます。
A:今日はありがとうございます。
B:こちらこそ、お時間作っていただきありがとうございます。
A:ありがとうございます。この対談の主旨を簡単に説明すると、この4月5月、僕が大学生とかあとは若いコーチから今後について、要するに将来について、すごい相談されることが増えたというか、多かったので、簡単な話としては、やっぱりJリーグのコーチになりたいって思う人は、当然夢としてあって、でもJリーグのコーチってどうやったら、Jクラブのコーチってどうやったらなれるのかって、基本公募もしてないし、わかんない部分になってるんですよね。その方法がよく見えない。
で、こうやってやったら絶対に入れますっていうのもまずないってなったときに、逆の発想で、じゃあ実際に働いたことがある人はどういう経緯でそうなったのかっていうことを、いろんな例を実例として出していって、これを見てる人たちがそれで何かヒントを得て、アクション、次に起こしてもらえたら嬉しいなという趣旨で始めていて、いろんな方ともうすでにしゃべってるんですけど。
また吉田さんの経歴がこれまたすごい面白いから、またこれ参考になるのかなって思っていて、なんか本当にいろんな、Jのユースでサッカー頑張ってて、ギリギリ、プロになれそうだったんだけどっていう人もいるし、もうサッカー自体を結構挫折というか、全然プレイヤーとしては本当に駄目だったんだけど、いろんな努力とか人の縁でこうなりましたって、いろんな例があるんで、今日は吉田さんのことをいろいろ聞いていきたいなと思いますので、じゃあ簡単に、今どこにいるのかというのと、何してるのかっていうことを含めの自己紹介をしてもらってもいいですか。
●自己紹介
B:はい。吉田裕志です。今は中国の広州にいます。広州富力、スーパーリーグ1部のチームなんですけど、そこのアカデミーでU-10の監督をしてます。
A:もう中国渡って何年ですか。
B:3年目ですね。今2年半。
A:言葉はどうしてるんですか。
B:言葉は指導、ミーティングとかになると難しいですけど、もう簡単な指導であれば中国語で、もちろん通訳いますけど、語学はこっち来てから勉強してて、といってもまだやっぱり日常会話ぐらいしかできないですけど。
A:でもすごくないですか、それ。
B:(笑)。まあそこも、もう来たときからもちろん通訳がいるんで通訳介せば話せるんですけど、直接やっぱり話をできた方がやっぱりトレーニングも効率がいいし、日本語以外のほかの言語勉強したことも、もちろん学生時代に英語とかはありますけど、私は苦手だったんで、ちょうどいい機会だなと思って(笑)。
A:(笑)。へえー。
B:英語と中国語を勉強してます。
●サッカーを始めたきっかけは?
A:おー。すごいな。なるほど。じゃあここからはいろいろ深掘りしていこうかなと思うんですけど、では、もうこれは過去からどんどん聞いていくっていう感じなので、いきなりですけど、まずサッカーを始めたきっかけと、何歳ぐらいから始めたかを教えてください。
B:5歳から。
A:あっ、結構早い。
B:はい。始めて、最初は幼稚園に外部の体育教室の先生が、幼稚園の体育の授業教えに来てて、そこの外部のそのチームがサッカー教室も始めると、その中の幼稚園の時間の中ではなくて、幼稚園が終わったあとに。で、そこにそのチラシをもらったときにサッカーやってもらいたいなって、年中ぐらいだと思うんですけど、親に言ってサッカーやりたいと。それがスタートですね。
A:ごめんなさい。それは場所どこですか。
B:熊本県です。
A:熊本県で幼稚園でスタートしてると。
B:はい。
●小学生時代、一番印印象に残っていることは?
A:小学校はあれですか。少年団ですか。それともクラブですか。
B:そこの幼稚園のクラブで小学校3年生までやって、その来てくれてた指導者が家庭の都合でちょっと来れなくなって、それで3年生から4年生までは1年間サッカーやってなくて、4年生になって部活を始めて、1年後に引っ越したんで、それも熊本県だったんですけど、●(06:02)引っ越して、引っ越した先でどこでサッカーやろうかなって探したときに、仲良い友だちがクラブチームでやってて、そこで部活じゃなくてクラブチームでやったのが5年生ぐらいですかね。
A:なるほど。じゃあ5~6年生で一番思い出に残ってることってどんなことありますか。
B:6年生のときに地域のトレセン大会、何々とか、そういうのが集まってやった6年生最後の大会で、大会20人ぐらいあったのかな。優秀選手に選ばれて、中学生のときにそのメンバーが熊本県選抜になるっていう、それが一番思い出に残ってますね。本当嬉しかったんで。
A:そのときのポジションはどこですか。
B:そのときは左サイドバックで出てましたね。そのトレセンのチームでは。
A:なかなか渋いポジションですね。
B:チームでは中盤やったりしてたんですけど、トレセンは中盤、もっとうまい選手いたんで。
A:(笑)。へえー。なるほど。で、中学はクラブチームですか。
B:そうですね。そのままクラブチームでやりました。
●中学生時代、一番印象に残っていることは?
A:中学生時代、一番印象に残ってることはなんでしょう。
B:フットサルの全国大会に出て、それが中学校3年生で、そのときに準決勝でベルギーだったのかな。に、負けて、で、思春期じゃないですか。自分でこう、メンタルをコントロールするの難しくて、すごくなんかこう、まだ3位決定戦あったんですけど、落ち込んだというかふてくされたというか、すごい態度で、僕キャプテンだったんですけど、3位決定戦に出場して、始まって5分か10分ぐらいで交代させられて、監督には何も言われなかったですけど、恐らく相当ひどいプレーをしてたと思います。ピッチに立っちゃいけないような、そういう態度で試合やってたと思います。
A:(笑)。へえー。あまりに悔しすぎて?
B:いやー、どうなんですかね。うーん。
A:打ちのめされたからっていうところなの?っていうわけでもなく?
B:それもあると思います。結構大差で負けたと思います。
A:そんな選手だったんだ(笑)。
B:(笑)。恐らく相当ひどかったと思いますね。
A:へえー。それは面白いわ。なんかね、こう、ついついJリーグのコーチとかになってる人って、ある程度、エリートまではいかないけど、すごいちゃんとしてるみたいな感じに、外の人は結構思ったりするけど、僕らは全然そんなことないじゃない。いろんな駄目な部分いっぱいあったりするし、挫折もいっぱい経験してるしっていう。
いやー、いいですね。早速中学生のときから出てきましたね。そういう話が。
B:(笑)。
A:いいですね。で、そのあとは?
●高校生時代
B:そのあとは高校に進学しました。
A:うんうん。そこを選んだ理由はなんかあるんですか。
B:声をかけてもらって。で、そこでサッカーをやろうと、その高校に行きましたね。
A:ほかの選択肢はとくに考えなかったんですか。
B:うーん。まあ声をかけてくれたのが早いタイミングだったんで、嬉しかった。なので、声をかけてもらって行こうと思ったあとは、ほかの選択肢は考えなかったですね。
A:なるほどね。その中でっていうか、いつぐらいからコーチやろうって思い出したんですか。
●高校2年で学校もサッカーも辞める?!
B:僕は高校2年生でサッカー部も学校も辞めたんですよ。それから1~2年はサッカーには関わってなくて、いろんなアルバイトしたりとか。
A:言える範囲でいいですけど、辞めた理由はなんだったんですか。
B:辞めた理由は、いや、いろんな多分理由があると思うんですけど。
A:うんうん。言える範囲で大丈夫です。
B:なんかもういいやと思っちゃいましたね。もうサッカーも学校も、もう、まあパワーがなくなったというか、そんな感じで「もう辞める」って言って、いろんな親とか、家族だとか、先生とか、いろんな話してくれましたけど、もうどうしようかって悩む感じでもなかったですね。
A:逆にもう決めちゃってたっていうか。
B:そうですね。もう難しいって思いましたね。今続けるのは。
A:なるほどね。それはサッカーがしんどくなったから学校もっていう感じなの?それとも両方?
B:まあ両方、うーん。多分というか、簡単にいうと多分パワーがなくなったと思います。
A:エネルギーがね。へえー。でもそういう経験をしてて、そのあとJリーグのコーチになるって、これもまたなかなか面白いところなんで、そこをぜひ聞いていきたいんですけど、それでいろんなところをバイトして、なんか印象に残ってるバイトとかあります?
B:車の部品を作る工場で、夜間、夜10時、11時ぐらいだったのかな、入って、朝方まで。やっぱり夜間だと給料がいいんですよ。それやったりしてましたけど、まあ、そこで働いてる人たちとかは、車に興味があったりとか、バイクに興味があったりとかして、そこでエンジンのネジを締めたりとか、僕はラインに入ってたんですけど、でもずっとじゃあ働いてるその7時間、8時間、同じ作業っていうわけではなくて、いろんなエンジンが、違う種類のものが流れてきたりとかして、要は覚えないといけないんですよね。
A:なるほどね。それぞれにエンジンに対してやることを覚えなきゃといけない。
B:そうそう。僕はそういうことは全く機械とか興味なかったんで、なかなか覚えられなくて、ラインに入ってると自分のところで詰まっちゃうとラインを止めないといけないんですよね。
A:そうだね。
B:それで大体僕のところで遅れちゃって、何回も怒られましたね(笑)。
A:(笑)。そうだよね。へえー。その仕事っていうかバイトはどのぐらい続けたんですか。
B:それはそのバイトは3カ月ぐらいだったかな。
A:そこからどうなっていくんですか。そのバイト期間とかいろいろあって。
●サッカーコーチのアルバイト
B:あって、求人をまた見てたときにサッカーのコーチのアルバイトを見つけて、いくつかコンビニでバイトしたり、そうやって工場でバイトしたり、今までサッカーしか頑張ってきてなかったから、結構しんどいなって、やっぱり働くのってって思いがあって、そのときにサッカーのコーチのアルバイトを見つけたときに、やってみようと思ってやったときに、まずやっぱり子どもたちとサッカーやるっていうのがものすごく楽しくて、それでお金もいただけると。最高だなと(笑)。それがきっかけですね。
A:なるほどね。そのときはいくつですか。
B:19ですかね。
A:19歳のとき。
B:17で学校辞めて…。
A:19歳。その楽しさに出会ってしまったと。
B:そうですね。
A:そのあとはどういう経緯になっていくんですか。それはバイトとして入った?
B:バイトとして入りました。そこから2年間そこでバイトをして、そのまま2年後、そこで社員になって、その2年バイトしてるときに専門学校にも通ってて、このサッカークラブもその専門学校も同じ団体なんですけど、そこでサッカーを教えながらそこの専門学校に通って、そのままそこの団体の社員になった感じですね。それがだから21歳。
A:専門学校行きつつサッカーのバイトって結構大変じゃなかったですか。
B:うーん。大変じゃ、いや、楽しかったですね。めっちゃ面白かったですね。遊んでる時間ももちろん楽しかったですけど、変わんないぐらい楽しかったですね。
A:へえー。その専門学校はスポーツ?
B:スポーツですね。
A:指導みたいな感じ?サッカーに限らず。
B:はい。最終的に健康運動実践指導者の資格が取れるっていう、生涯スポーツ、一生涯のスポーツを学ぶ学科に通ってましたね。
A:なるほどね。
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