
プロサッカーコーチになるには?私の履歴書 広州富力U-10コーチ 吉田裕志②
Jan 15, 2021サッカーコーチになるには? どういう経路があるんだろう?
プロサッカー選手としての経験がなくてもプロサッカーコーチになれる!
実際にそれを実現した方にフォーカスして対談していくシリーズ!
YouTubeインタビューを文字起こししました。
今回は広州富力U-10コーチ 吉田裕志さん 第2弾です。
A:で、社員になって、どのぐらい働いてたんですか。
B:社員で5年間ですかね。最初の4年は普通に社員として働いて、サッカーだけじゃなかったんですよ。ほかにも水泳の指導をしたりとか、体操の指導をしたりとか、そういったほかの指導もやりながら、もちろんメインはサッカーでしたけど、4年やって辞めようと思ったんで、4年後には職員っていうのを外してもらって、1年間アルバイトみたいな形で、もう1年後には辞めますと。それが5年目で、それが終わって、関東に出てきた感じですね。
A:そこで1年前に辞めようって思ってた、それはどうしてですか。理由としては。
B:中学時代の同級生があるJリーグのクラブで指導していて。
A:コーチとして?
B:コーチとして。僕も4年間、その団体で指導してて、自分の指導にも行き詰ってたというか、勉強していこうかなと。そのときにその同級生がJリーグのクラブで働いてることは知ってたんで、連絡を取ったりして、どういう指導をしてるんだとか、なんかこう、いろんな戦術とかもよくわかんなかったんで、どういうふうにやってんの?って聞いてたときに、「お前休みあったら1週間ぐらい練習見に来たら?」って言ってくれて、すごくいい指導者といい選手がいると。見に来る機会があるよって言ってくれたんで、ちょうどその見に行ったのが4年目か。
まだ職員だったんですけど、どうしても行きたかったんで、お願いをして休みもらって、1週間見に行って、それがきっかけですね。それで帰ってきて、帰ってくるというか、1週間見てる中でそこのクラブの人たちの人柄だとか、もちろん指導もすごかったし、ちょっとこう、今まで自分がそのときにやってたサッカーの指導とはちょっとレベルが違うなと。まあ当たり前やと思うんですけど。で、もう、こういうところで自分もやりたいなっていうので、戻ってからすぐ1年後にはもう辞めるっていうふうに決心しました。
A:なるほどね。ちなみにそれどこのクラブか言えますか。見に行ったところ。そのとき。
B:それは柏レイソルですね。
A:ああー。なるほどね。それで衝撃を受けてたんだ。
B:はい。
●横浜マリノスのスクールコーチに
A:そうなんだ。なるほど。じゃあ、その熊本のいたところ辞めますってなって、そこからどういうふうに探してたんですか。次のチーム。
B:熊本でお世話になってた人たちにも、もうそこを辞めて関東のリーグのクラブに行きたいって、そこ、熊本のクラブを辞めて関東のJリーグのクラブに行きたいと、もう一番多分憧れが強かったと思うんですけど、そんな話をいろいろお世話になってる人たちにしてて。
A:うん。それで探していて…。
B:はい。で、それで三つぐらいですかね。話を聞いてくれる人を紹介してもらって、辞めたのが12月だと思うんですけど、そういう話になったのが11月ぐらいですね。もう辞める1カ月、2カ月前ぐらいで、で、関東に行って、三つのクラブの関係者の人と面接をさせてもらって、面接をしていただいて、その返事を待ってたんですけど、なかなかいい返事が来なくて、いよいよ12月、もうあと1週間、10日ぐらいで辞めるっていうときに、また別の知人から、僕がそうやって探してたのを知ってたんで紹介してもらって、そこからまた面接をしたりとかっていうので、その最後に紹介をしてもらったクラブに決まった感じですね。
A:それもなんか不思議な縁というか、タイミングですね。
B:そうですね。
A:大体そうだもんね、Jリーグのクラブって。契約上11月末までに契約更新するかしないかって言わなきゃいけないし、新しい契約自体が2月からなるから、その年末年始のところは本当ドキドキする。ギリギリそれで決まって年が越せるか越せないかみたいなあるしね(笑)。へえー。そっか。それが、名前言ってもいいですか。クラブの名前は。
B:クラブは横浜マリノスですね。
A:はい。そこでスクールですか。スクールコーチ?
B:そうです。はい。
A:なるほど。その決まった瞬間はもうどんな感情でした?心情でした?
B:いや、めっちゃ嬉しかったですね(笑)。
A:(笑)。
B:まあ、嬉しかったのが8割ぐらいで、2割ぐらいはめちゃくちゃホッとしました。
A:決まったって。
B:はい。
A:そうだよね。
B:はい。ちょうど最後の日だったと思うんですけど、熊本の職場が最後の日に面接の連絡をいただいて、マリノスの。で、その最後の練習が終わったときに、そこから横浜に行かないといけないと。そしたらたまたまその職場でバスの運転手をしてた方がいるんですけど、その人が千葉の娘さんだったかな。娘さんのところに、今日の練習が終わったら選手たちを送迎をする方だったんですけど、行くんだよねっていう話になって。
A:(笑)。偶然でしょ?
B:そうです。だから「それ僕乗せていってもらっていいですか。もちろん僕も運転します」っていう話をして、そしたら「ああ、いいよ」っていう返事をもらって、で、終わって、ETCの関係かなんかで夜中に出るとなんか安いからみたいな感じで、9時ぐらいに練習終わってじゃあ12時にうちに来てって言われて、で、バーッと家帰って荷物まとめて、その方の家に12時ぐらいに行って、ご年配の方なんですけど、その奥さんと3人で車でその方と僕が交互に運転しながら、横浜に行きましたね。
A:(笑)。何時間ぐらいかかった?それ。
B:いやー。はっきり覚えてないですけど、どんなんだったんだろう。だから12時に出て、次の日の午後3時とか4時ぐらいに蛯名についたイメージが出てくる。
A:(笑)。ええーっ。すごいね。
B:すごい親切な方で。
A:へえーっ。それ面白すぎるわ、その話。
B:飛行機がやっぱりもう前日とかだったんで、前々日ぐらいか。めちゃくちゃ高かったんですよね。だから僕も迷って、どうしようと思って、そしたらたまたまその方が行くよってなったんで、便乗させてもらいました。
A:すごい。だからもう「すぐ来れる?」みたいな感じだったんだ。面談、面接も。確かにそれ逃して「ちょっと待ってください」って言ってたらね、それは行かなきゃってなるもんね、すぐ。へえー。なんかそこ、ドラマになりそうだね。本当ね。その話。面白い。
B:びっくりしましたね。
A:で、決まって引っ越して…。マリノスには何年ですか。
B:5年ですね。
●横浜マリノスで印象に残っていることトップ3
A:たくさん印象に残ってることあると思うんですけど、あえてトップ3を出すとしたらなんでしょう。
B:トップ3。いやー。まあ、順位はないですけど、一つはまず、僕熊本で育ってずっと熊本で高校生までサッカーやって、そのあと指導やってて、Jリーグとかの憧れはすごい強かったんで、初めてやっぱり選手たちを見たときは、子どもころ憧れた憧れの人に会うみたいな、そんな気持ちは覚えてますね。目の前で見たときに。
あとは指導者の人たちとボール回しとかを仕事の始まる前とかにやったりしたんですけど、そのときに元選手の方たちとか、やっぱりめちゃくちゃうまかったんで、うまいなと(笑)。その二つが印象が強いですね。
●柏レイソルへ
A:へえー。そうだよね。まあね。本当うまいもんね。当たり前だけど。そうか。そこからレイソルはそういう経緯だったんですか。
B:レイソルはまだレイソルは声をかけてもらって、クラブ、マリノスと契約をまだしてる最中ぐらいですかね。まだサインはしてなくて、そういう時期にレイソルからマリノスに話がいって、マリノスの僕の上司からレイソルからオファーを出したいと。そんな話がきてるけどっていう話を聞いて、僕もびっくりして、そうなんですかと。どうだと。なんで、考えさせてくださいと。でも興味はすごくありますと。
僕もマリノスに入る前にそうやって1週間お世話になったことはもうずっと話もしてたんで、僕もやっぱりそういう思いもあるしっていう、すごく親身になって僕のことも考えてくれてた上司なんで、「しっかり考えろ」って言ってくれて、そのあとに後日、家族とも相談して、僕は横浜に家があるんで。
A:あれ?結婚はいつですか。マリノスにいるとき?
B:マリノスの2年目ですね。結婚して。で、ちょうど家を買ったばっかりだったんで、家を買った2カ月後ぐらいでしたね、その話が。家を買ったっていうか、住みだして1カ月後ぐらいにその話をいただいて、妻とも相談して、僕はやっぱりレイソルに行きたいという思いを伝えて、マリノスにもその思いを伝えて、僕の気持ちを尊重してくれて、じゃあそのレイソルと僕でコンタクトを取って話をしていこうっていう流れでしたね。
A:へえーっ。今思うとっていうところでいいと思うんですけど、どうしてレイソルからのオファーがきたんだと思います?まあ、5年経ってるんですよね。約ね。研修。
B:5年経ってる。はい。
A:まあタイミングとかっていうのもいろいろあったりはすると思うんですけど、今となって考えるとどうしてこう声をかけてもらえたのかって、どう分析します?なかなか自分でこれかもしれないっていうのは言いづらいかもしれないですけど、今となってみればみたいな。
B:声かけてくれた人に契約をした日ですかね。電話で話してるときに言ってもらったのは、僕は熊本で育ってマリノスで5年、いろんなクラブ、色があるじゃないですか。サッカー観も。だからそういう哲学的なものっていうのは、僕はレイソルのアカデミーの選手でもないし、出身、そういったのはもちろん入ってから学んでいけばいいと。
僕が選手と向き合うときに大事にしてるもの。例えば、これは駄目だとか、なんかそういったものは遠慮せずに最初からどんどん出してほしいと。そのことを言ってもらったときに、なんで声かけてくれたのかっていうのは、そういうことなのかなって思いましたけど。
●柏レイソルでの経歴
A:なるほどね。レイソルでは何されてたんですか。
B:レイソルでは1年目U-10監督をやってて、2年目がU-18のコーチをやって、3年目がU-10の監督ですね。
A:すごいですね。ジュニア見て、一回ユース見て、多分意図があってだと思いますけど、ある意味全部が見れるわけじゃないですか、つながりっていうか。そういうところでいくと、レイソルで一番印象に残ってること、また教えてください。
●柏レイソルで一番印象に残っていること
B:うーん。
A:絞れなかったら三つでもいいですよ。
B:一番影響を受けたというか、衝撃を受けたというか、っていうのは、やっぱり指導者の人たちのサッカーに対する情熱。選手に対する情熱。そこを学ぼうとする姿勢。そこに費やす時間。そういったものはやっぱりクラブに入って働いて、すごくいい影響を受けましたね。
A:なんかこう、5年前の衝撃の再現っていうか、そのときは本当にとにかく衝撃みたいな感じだったと思うんですけど、実際に働いて、なんかこう、ああ、こういうことだったのかとか、こういうこと新しい発見だったなとか、例えばあったら教えてほしいんですけど。変化があったのか、やっぱりすごいっていう感じになったのか、その5年あいて実際に入ってみて、言ってみれば憧れてる場所に入れたっていうところに関しては。
B:一回はトレーニングに対する指導者の準備。そのトレーニングのふり返りだとか、それに対する指導者同士のディスカッションだとか、こういったものでトレーニングの制度というかとかが上がっていってるんだなっていうのはすごく思いましたね。本当細かいところ、ちょっとした選手に発した言葉だとか、そのときの指導者のふるまいだとか、オーガナイズもそうですけど、もう2メートル短い方がいいんじゃないかとか。
A:(笑)。そういう話してるんだ、やっぱりね。
B:それがやっぱりこう毎日くり返されていくんで。
A:うーん。それはね、コーチのスキルっていうかね、ずっと上がっていくよね。
B:うーん。ここが一番衝撃を受けた、影響を受けたことでした。
A:なるほど。
B:よりよいものをっていう姿勢がすごかったですね。
A:うーん。なんか練習終わったあと、確かにクラブハウスでずっとしゃべってそうな印象があります。アルディージャのスタッフもやっぱりそうだったけど、映像撮って見て、フィードバックもらってとか。あれ吉田さんと僕ってそのときに会ってますよね、多分。レイソルのときですもんね、確かね。
B:カズさんが大宮にいて。
A:そうですよね。最初に会ったのってなんでしたっけ?あっ、あれだ。わかった。レイソルカップの懇親会じゃない?
B:そうですね。
A:(笑)。思い出した。そうだ。なるほど。そっか。で、そこからこの次の話また聞きたいんですけど、そこから今のクラブですよね、中国の。
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